
熱狂 佳作:三都㈱ 鎌田 瑩子 氏
フォトコンテストコーナー
第41回組合だよりフォトコンテスト 応募作品

ご挨拶コーナー
水の違いを楽しむ
名古屋市上下水道局 北部営業センター
センター長 堀 和之
名古屋市指定水道工事店協同組合並びに組合員の皆さまには、日頃より上下水道事業にご協力いただき、誠にありがとうございます。私は今年度4月に発足した北部営業センターのセンター長を務めております堀と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
この度、寄稿の機会をいただき、それを機にふと思い出した水にまつわるエピソードを紹介させていただきます。
以前、妻が東京本社勤務の上司から聞いた話です。
「名古屋のいいところは何と言っても水が美味しいことだね。」と、上司は言い、名古屋支店に赴任した際に味噌煮込みうどんに出会い、毎週のように店に通うほど好きになったと話してくれたということです。東京本社に戻ってからも、名古屋出張のたびにその店で食べ、セットを買って帰るようになったとのことですが、最後にこう言われたそうです。
「でもねぇ、残念ながら東京の水で作っても、同じ味にはならないんだ。名古屋の水じゃないとね。」
妻の夫が上下水道局の職員であることを知らずに話してくれたことが、私には嬉しく感じられました。
その話を聞いて、「水が違うだけでそんなに味が変わるのか」と興味を持ちましたが、東京でその違いを試す機会はなかなか得られませんでした。しかし、どうやら名古屋の水源である木曽川の水の硬度に秘密があるようです。
木曽川の水は、硬度が非常に低いことが特徴です。これは、源流が御嶽山など火山性の地質を流れ、急な河川の傾斜により、雨水が地層に滞留する時間が短いため、ミネラルが水に溶け込みにくいことに起因するそうです。
軟水は昆布や鰹節などの旨味成分を引き出しやすい性質があり、素材の風味が活きただしを取ることができるということです。対照的に、硬水に含まれるミネラル分は、旨味成分と結びつき、アクとなって旨味を妨げたり、だしを濁らせることがあると言われています。
このように水の硬度が、味噌煮込みうどんの味を決める和風だしの旨味に大きな影響を与えることを考えると、名古屋の水と比較して硬度の高い水で作った場合、同じ味が再現できないのも十分に理解できることだと言えるのではないでしょうか。
また、軟水は髪や肌にも優しく、硬水で洗髪や洗顔をすると、髪がごわついたり、肌がかさついたりすることがあるとも言われています。この点については、私も旅行のたびにその違いを実感しているところです。
名古屋から旅に出る際には、その土地のグルメや文化を楽しむとともに、料理の味や髪、肌の具合など、「水」による違いを意識してみるのも面白いかもしれません。
会議コーナー
定例理事会
開催日時 11月5日(水)午後3時
開催場所 水道組合
理事の定数 18名 出席理事 18名
組合員証授与 ㈱貴水設備 代表者加藤稔貴様
組合三役
総務委員会
広報技能委員会
資材委員会
業務管理委員会
お知らせコーナー
第31回名水協支部親睦ゴルフ大会
開催日 10月28日(火)
場 所 三甲ゴルフ倶楽部京和コース
参加者 72名
当組合恒例の第31回名水協支部親睦ゴルフ大会が愛知県豊田市にあります三甲ゴルフ倶楽部京和コースで開催されました。
各支部から大勢の方々に参加していただき、盛大に開催されました。参加総勢72名。第1組がスタートし競技が行われました。
プレイ終了後は団体戦・個人戦の表彰式が開催され、団体戦は瑞穂支部が優勝し、個人戦は奥田哲弘氏(奥田水道設備)が優勝されました。
大会に参加された皆さまお疲れ様でした。
《成績発表》
団体の部 (支 部)
優 勝 瑞穂支部
準 優 勝 守山支部
3 位 熱田支部
個人の部 (氏 名) (所属工事店) (支部)
優 勝 奥田 哲弘 奥田水道設備 中村支部
準 優 勝 加藤 正和 ㈱トキワ設備工業所 昭和支部
3 位 服部 善弘 桜和設備㈱ 熱田支部
<敬称略>
団体優勝 瑞穂支部
個人優勝 中村支部 奥田水道設備 奥田 哲弘 氏
お知らせコーナー
第31回名水協支部親睦ゴルフ大会(2)
表彰式とプレーの様子
団体準優勝 守山支部
個人準優勝 昭和支部 ㈱トキワ設備工業所 加藤 政和 氏
団体3位 熱田支部
個人3位 熱田支部 桜和設備㈱ 服部 善弘 氏
お知らせコーナー
第42回組合だよりフォトコンテストのお知らせ

青年部会コーナー
第215弾定期夜間勉強会(特別編)「玉掛け講習」
開催日 令和7年10月16日、17日、18日
場 所 学科 水道組合
実地 アイチコーポレーション研修センター
参加者 16名
10月16日、17日、18日の3日間で第215弾定期夜間勉強会(特別編)として、「玉掛け講習」を開催しました。
学科を16日、17日の二日間計12時間水道組合で行い、18日の実地講習7時間はアイチコーポレーション研修センターで行いました。
青年部会コーナー
青年部会メンバー大募集中

木祖村コーナー
木祖村だより

筆の泉コーナー
大阪・関西万博を訪れて

いのちのはかり

会場内で見つけたミャクミャクのマンホール
名古屋市上下水道局総務部防災課
主事 大澤 範花
「いよいよ、夢洲です。万博テーマソングの『この地球(ほし)の続きを』とともに、驚きと感動に満ちた夢洲へ、さあ、行きましょう!」
コスモスクエア駅を発車する際、車内に流れたそのアナウンスが聞こえた瞬間、胸が高鳴りました。
今年、大阪・夢洲で開催された大阪・関西万博は「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに世界約150の国と地域が参加した壮大な国際博覧会であり、惜しまれつつも10月13日に幕を閉じました。私は6月と10月に1度ずつ会場を訪れ、計8つのパビリオンに入ることができました。
中でも特に印象的だったパビリオンは「EARTH MART」でした。「食を通じて、いのちを考える」がテーマに据えられ、スーパーマーケットのような展示空間で私たちの普段「食べる、消費する」という行為を改めて捉え直す体験などができる構成となっていました。パビリオンの中には「いのちのはかり」と名付けられた展示があり、商品や食材をはかりに載せるとその背景にある環境負荷や社会的なストーリーがアニメーションで表示される仕掛けがありました。その中の1つに水があり、水の入ったペットボトルをはかりに載せると「水道水をそのまま安全に飲める国の数」が表示されました。その国の数は世界で「12か国」と表示され、12か国しかない事実にとても驚きました。日本では蛇口をひねれば当たり前のように水道水を安全に飲むことができますが、それは決して当たり前ではなく、いろいろな人や技術によって支えられていることを改めて体感しました。
このほかにも各国の食生活の違いや未来の食品技術などさまざまな展示がされており、身近な食について改めて考えるきっかけとなったパビリオンでした。最後には万博漬けと交換できる引換券をもらいました。万博漬けとは万博の会期中に会場内で漬け込んだ梅干しのことで、その引換券は25年後の2050年に万博漬けと交換することができます。いわば「食のタイムカプセル」の取り組みのようです。25年後まで覚えていられるか今から不安ですが、25年後万博漬けを実際に食べられることがとても楽しみです。
普段なかなか触れられないさまざまな技術や価値観、文化などに触れることができ、貴重な経験ができました。ほかにも行きたかったパビリオンはたくさんありましたが、こうした思いも全部まとめてとても楽しい思い出となりました!
談話室コーナー
青森での特別な三日間
閑林工業株式会社 新美択王
10月中旬、婚約の記念として青森へ2泊3日のプチ旅行に出かけました。お互いに日々の仕事に追われる中で、二人でゆっくりと過ごす時間を作りたいと思っていた私たちにとって、この旅は待ちに待った気分転換の機会でした。
青森を選んだ理由は、秋の紅葉を楽しみたいという思いと、以前から気になっていた星野リゾート青森屋に泊まってみたいという願望があったからです。加えて、青森には魅力的な美術館が多いと聞いていたので、芸術に触れる旅にもしたいと考えました。
紅葉の季節の青森は、想像以上に美しかった。山々が赤や黄色に染まり、澄んだ空気の中で見る景色は息をのむほどだった。二人で紅葉を眺めながら歩いた道は、これからの人生を一緒に歩んでいくことの象徴のようにも感じられた。
青森屋での滞在は、この旅のハイライトだった。温泉にゆっくりと浸かり、地元の食材を使った料理に舌鼓を打ち、青森の文化を存分に体感することができた。特に印象的だったのは、施設内で感じられる青森らしさへのこだわりだった。細部まで行き届いたおもてなしに、二人とも心から癒された。
美術館巡りも忘れられない思い出となった。青森県立美術館では、地域に根ざした芸術作品に触れることができ、新鮮な驚きと感動があった。芸術を通して青森の歴史や文化を知ることができたのは、旅に深みを与えてくれた。
この旅行を通して感じたのは、新しく家族になるということの実感だった。二人で同じ景色を見て、同じ体験を共有し、笑い合う時間の中で、これから築いていく家庭の温かさを予感することができた。仕事の疲れも忘れ、心からリフレッシュできた三日間だった。
青森から帰ってきて、私たちは「また同じように、他の県にも一緒に旅行に行きたいね」と話しました。日本にはまだまだ知らない場所がたくさんある。これから二人で、少しずつ新しい場所を訪れ、思い出を重ねていきたい。青森での三日間は、家族としての新しい思い出となる、かけがえのない時間となった。
法律コーナー
無職でも婚姻費用の支払いが命じられる場合
弁護士
成瀬 洋二
夫婦は、互いに協力し扶助しなければならず、夫婦が別居していても法的婚姻関係が継続する限りは、婚姻費用(婚姻共同生活を営む上で要する生活費用)の分担義務を負うとされています。婚姻費用の分担義務は、自分と同程度の生活を保障する義務であり、その額は夫婦の資産、収入その他一切の事情を考慮して決められます(民法760条)、調停において当事者間の協議が整わないときには、家庭裁判所が審判によって定めることになっています(民法879条)。
婚姻費用の額の算定方法は、夫婦の各総収入に対応した公租公課や職業費・特別経費の標準的割合から基礎収入を推計し、標準的な生活費指数によって算出された生活費で按分して行われます。細かな計算方法が求められるため、実務では夫婦の年収額を基にして算定される簡易算定表が用いられるのが一般的です。例えば、婚姻費用を支払う側が会社員で年収600万円、婚姻費用を受け取る側が5歳の子一人と同居し、年収300万円の場合、婚姻費用の額は、月額8〜10万円になります。
今回は、婚姻期間中に銀行に勤めていたYが、長男と次男を連れて別居した妻から婚姻費用の支払いを求められたところ、Yが抑うつ症状との診断を受けて銀行を退職したため、婚姻費用の支払いを拒んだことから、婚姻費用分担請求調停が不成立となって審判に移行した事案(福岡高裁令和5年5月8日決定)をご紹介します。
本判決は、XがYの別居以前には特に症状はなく、別居後に長男と次男の面会交流等を巡って抑うつ症状が発症したというもので、病院への受診の経緯や退職の経緯、Yの調停への対応状況等を考慮すると、Xの症状が就労不可能な程度に重篤なものかについては疑いが残るなどと述べました。そして、Xが具体的な診療内容等を明らかにすることを拒否していることなどを考慮すれば、婚姻費用の算定にあたっては、仮に現在、Xが抑うつ症状によって無職であったとしても、少なくとも従前の収入の約4割の収入があるものとして扱い、婚姻費用の額を定めるのが相当であると判断しました。
通常であれば現実の収入額がその人の稼動能力とみなされますが、そこにズレがある場合には証拠によって立証をしなければなりません。今回は、Xが診療内容等を明らかにしなかったことなどから、Xに抑うつ症状があったとしても一定の稼動能力があると判断されてしまいました。このような事案を参考にすれば、経営者など報酬額を操作できる立場の者が一時的に役員報酬を下げたとしても、業績の悪化などの合理的な理由がなければ同じ様に従前の収入を基に判断されてしまう可能性があると考えます。
事務局だよりコーナー
『野球』

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吉田 信彦
日本のプロ野球ではソフトバンクが日本シリーズを制し日本一になりました。
ファンの皆さんおめでとうございます。
海の向こうのメジャーリーグではドジャースが大谷翔平、山本由伸、佐々木朗希が優勝の中心選手として活躍し、球団史上初の連覇を果たしてワールドチャンピオンになりました。日本の野球少年の夢が大きく膨らみ、大人も熱狂しました。
私が、低学年の子供の頃は公園でキャッチボールをしたり、ゴムボールで友だちと試合をしたりして楽しかったのが野球との出会いでした。小学校5年生になった時、子供会と小学校のソフトボールの選手に選抜されました。上級生が多くいたため両チームとも補欠でしたが試合に出る可能性があるため家族でもうすぐ閉館してしまう名鉄百貨店にグローブを購入しに出かけた時、今でいうファンクラブ(中日ドラゴンズ会員)記憶では年会費はお値打ちでドラゴンズのキャップと20試合程度の外野の子供用入場券が特典でしたので入会しました。数十年前、『組合だより』に寄稿しましたが抽選で5年生の時、確か4試合設定されており、ベンチ入り15人だったと思う(?)ので120人に当選して昔の中日球場でプレーしました。監督は当時コーチだった森下さんで審判は2軍の選手でした。というのはストライク、ボールの判定でベンチで『あんなクソボールがストライクに見えるからあいつは1軍には上がれないんだ』とぶつぶつ言っていたからです。試合の結果ですが7回制だったので途中交代しましたが最後の打席で前進守備のレフトオーバーのランニングホームランを打ち、ベンチに戻ってきたら森下さんが『君、紙に住所と電話番号を書いておいて』と言われたので何時かドラフトで選択されるかもと淡い期待をしました。
それからの人生で野球で実績を残せなかったくせに。ちなみに今でも実家にその時の集合写真がありますが7月26日で義理の妹が生まれた日でした。
6年生になり子供会でも小学校でもレギュラーになり試合に出られましたが
両方とも2回戦敗退で終わりました。打順は1番で守備はサードでした。
中学に入ると小学校の時に一緒にソフトボールをしていた先輩5人も入部していると聞き当然のごとく野球部に入りました。その先輩からは1年生は理不尽な事でつらい思いを多くする聞いたけれど長い人生では経験するのも必要と思い入部しました。入部した時3年生は4人、2年生は12人、1年生は自分を含めて16人でした。小学校のチームと同じで先輩たちはそれぞれ2回戦敗退、僕たちの代は10人しか残らなかったので6番セカンドでしたが3回戦敗退でした。顧問の先生の方針で能力が劣っていようが上級生がレギュラーで長身の2人がピッチャーとファーストをまかない、キャッチャーがキャプテンは決定事項でした。理不尽な事はそれほど多くありませんでしたが1つ不思議だったのが小学校の時キャチャーをしていた先輩が2回戦敗戦濃厚の時、代打で出場しましたが見逃し三振でした。練習時のフリーバッテイングではバットを振りますが公式試合では絶対に振らないので三振、四球、デットボールの3択でした。
今は、学校に野球部がない所もけっこうあり、公園も危ないので禁止されている所もあります。昔みたいに遊びで野球をする環境はなく本気でプロを目指す子供たちがリトルリーグなどに入ったり、高校で甲子園を目指しプロ野球やメジャーリーガーになれるよう将来を見据えて小さい頃からがんばっているのかなあと思います。
来年はWBCが開催されるのでテレビで興奮して見ようとおもいます。今からとても楽しみです。野球は見るのもやるのもやっぱり楽しい。


